次に紹介するのは、
ボランティア活動を始めて22年後、
2001年(平成13年)
タイ北部の山岳民族(アカ族)の集落に
保育園を寄贈しました。
その落成式の日の記録です。

1978年 - 1979年
the year 1978 - 1979


1978年当時
タイ国では毎年30万人以上の困窮児童が昼食も摂れず、
満足に着る物もなく、一家に一着しかない洋服を
兄弟で交互に着用して学校に行く姿や、
8歳で主婦替りをして、幼い兄弟と登校して
一緒に勉強している姿もありました。

私達が僻地の学校を訪問し、
自分達の昼食を分け与えたとき、
うれしそうな笑顔でほおばっていた、
あの輝かしいひとみは、
いつまでも忘れることはできません。


ただ、「もの」を与えるのみが目的ではありませんが、
最低の生活日用品や、文房具、
運動靴を必要としている現実に、
「この恵まれない子供達へ愛の手を差しのべる事はできないものか」と思い、

翌1979年(昭和54年)
「出来る人が、出来る事を、出来る所へ、
愛ある行動を・・・」を理念に
日・タイ親善交流グループを設立しました。

タイ国の教育支援を目的に掲げて夫婦2人で始めた活動でした。
支援者を募って毎年タイに訪問し、僻地の子供達に必要
な物資を自分達の手で直接届けるというものでした。

やがて
その波紋は広がっていき、数年後、
タイ国内で同じ趣旨で活動していた
タイ王立僻地教育振興会を紹介してくださいました。
その後、
タイ陸軍開発部隊の協力のもと、
国境沿いの貧困地帯を巡り
教育支援活動を実施できるようになりました。

沢山の方々の協力や支援を得ることが
できるようになり、全盛期には
診療所や小・中学校、寄宿舎や図書館などを
建造して寄贈できるまでになりました。

2001年
the year 2001

次に紹介するのは、活動を初めて22年後
2001年(H13年)
タイ北部の山岳民族(アカ族)の集落に
保育園を寄贈しました。その落成式の日の記録です。
【冒頭の動画】

整備のされてない山道を走り、たどり着いた先では
民族衣装を着た子供達が出迎えてくれました。
山々に囲まれた周囲の環境を見て、
日本で生まれ育った故郷を思い出していました。

将来の国を背負っていく国の宝であるお子様達が
「教育を受けて健やかに育ってほしい」
という願いは国境や民族に関係なく
世界共通の願いです。

その願いの実現のためにはあらゆる努力を
惜しんではなりません。

このチャイルドケアハウスは
その願いの実現のために数多くの日本人の善意の
寄付金により建設されたものでございます。

センジャール村の住民の皆様にとって
大いに利用されることを期待いたします。


日・タイ親善交流グループのかかる暖かい手に
心から感謝及び敬意を表しますとともに
その勇気と希望によりタイ国が一層発展していくことであろうことを確信しております。

ありがとうございました。

在チェンマイ日本国領事 鈴木重行

その後、お母さん達が手作りした物を
首にかけてくれました。
精いっぱいのおもてなし、
感謝の想いが伝わってきます。

日本では、幼い頃から何度も国旗掲揚を
見てきましたが、ボランティア活動を通して
落成式に行う国旗掲揚を見ていると、
日本人として身が引き締まる思いです。

次は植樹式です。
その後、歌と踊りを披露してくれました。

最後は皆で乾杯のようです。そして
子供達が踊り、全員で歌ってくれました。

貴重な体験をありがとうございました。

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2022年(令和4年)現在
2022,as of now

そして、
ここから更に21年後の2022年(令和4年)現在、
高齢化や病気、コロナ過によって
グループの規模や活動は小さく、
会員も最小人数になってしまいました。
ですが、
細く小さくなっても、理念と想いを引き継ぎ、
この時の繋がりと活動は現在も続いています。